ボック『エドワード・ボックのアメリカ化』全訳(29)女性の本質への小旅行

この記事は、雑誌「レディース・ホーム・ジャーナル」を30年間率いた編集者エドワード・ボック(1863〜1930年)が1920年に出版した自伝『The Americanization of Edward Bok』(翌年ピュリッツァー賞を受賞)を、新規事業ポータルが独自に日本語へ訳したものです。原文は著作権の保護期間が終わっており、Project Gutenberg で公開されています。100年以上前のアメリカで書かれた内容なので、当時の価値観や表現もそのまま含まれています。原文では著者自身を三人称の「エドワード・ボック」と書いており、訳文もそれに従っています。訳文では、原文の趣旨を変えないことを優先しました。

連載の構成(全39回)

  1. アメリカでの最初の日々
  2. 初めての仕事:週給50セント
  3. 独学への渇望
  4. 大統領との交友とボストン巡礼
  5. ロングフェローと劇場へ
  6. フィリップス・ブルックスの本とエマーソンの霧
  7. ウォール街に飛び込む
  8. 新聞配信の事業を始める
  9. ヘンリー・ウォード・ビーチャーとの関わり
  10. 初めての「女性のページ」、「文学の葉」、そしてスクリブナー社へ
  11. 成功のチャンス
  12. 砲火の洗礼
  13. 出版の出来事と逸話
  14. ニューヨーク最後の年
  15. 編集者として成功する
  16. 女性誌の編集者としての最初の数年
  17. ユージン・フィールドのいたずら
  18. 雑誌を育てる
  19. 人柄が伝わる手紙
  20. いくつかの挫折
  21. 建設的な仕事の見本
  22. 街と個人の芸術への挑戦
  23. セオドア・ルーズベルトの影響
  24. ルーズベルトの匿名の論説
  25. 大統領と少年
  26. 文学の裏階段
  27. 女性クラブと女性参政権
  28. キプリングとの帰郷と講演旅行
  29. 女性の本質への小旅行(この記事)
  30. 売薬などの悪弊を一掃する
  31. 市民生活への取り組み
  32. 戸惑うボック
  33. 何百万人に届く方法
  34. 戦時の雑誌と戦時の活動
  35. 大戦の前線で
  36. 30年の編集者生活の終わり
  37. 第三の時期
  38. アメリカが私に足りなかったこと
  39. 私がアメリカに負っているもの

第29章 女性の本質への小旅行

パリのファッション支配を暴く

パリのクチュリエ(高級仕立て屋)たちが、アメリカの女性の服装の流行を一方的に決めつけることで、彼女たちをがんじがらめに押さえ込んでいることに、エドワード・ボックはしばらく前から関心を抱いていました。この問題を調べるにつれ、彼は驚かされるばかりでした。自分たち自身もたいしてセンスがなく、品行もあやしいことの多いフランスの仕立て屋や帽子屋たちが、実に大胆に鞭を鳴らし、アメリカの女性がじつに従順に、盲目的に、何も考えずにその拍子に合わせて踊っていたのです。深く掘り下げれば掘り下げるほど、そこには欺瞞と偽りが見つかりました。事実を知っていれば、アメリカの女性が押しつけられているものに甘んじるとは考えられませんでした。彼は、女性たちに事実を知らせようと決心しました。彼の内側で進んでいたアメリカ化の過程が、パリの実情を暴き、アメリカでデザインされた女性のファッションを提唱し紹介しようという決断へと彼を導いたのです。

ジャーナル誌は、パリの事情に最も通じた女性を雇い、アメリカの女性たちに向けて実情を率直に明かしてもらいました。彼女が示したのは次のことでした。いわゆるパリの流行の裁定者たちが海の向こうへ送り出すデザインは、家柄がよくセンスのあるフランス女性が着ることは決してないこと。それらは、ある礼儀正しいフランス人の言葉を借りれば「奇抜好みのアメリカ市場」のために特別にデザインされ、そのために意図されたものであること。そして、パリでこうした奇怪で、しばしば度を越したスタイルを身につけているのは、裏社交界の女性たちだけだということです。

この記事は運動の開戦の号砲となり、すぐに同じく説得力のある2本目の記事が続きました。どちらの記事も、クチュリエの店の金ぴかの内輪の世界の内側から書かれたものでした。ちょうどそのとき、サラ・ベルナール夫人がアメリカを訪れていたので、ボックはこの大女優に、掲載した内容が事実であることを確かめてもらいました。彼女はさらに踏み込んで、アメリカの女性がいとも簡単にだまされていることに驚きを表し、洗練された感性と地位を持つアメリカの女性たちが、パリの身を持ち崩した街の女たちのドレスを着ているのを見て、ぞっとしたと語りました。記事のいささか扇情的な性格はアメリカの新聞の注目を集め、各紙がそれを転載し、論評しました。その要旨はパリに電報で伝えられ、もちろんパリのクチュリエたちは告発を否定しました。しかし彼らの否定は一般論にとどまり、告発が誤りであるという説得力のある証拠は何ひとつ示されませんでした。フランスのクチュリエは、ただ肩をすくめて笑い、告発など相手にするまでもないとほのめかしただけでした。

偽ラベルの流通

ボックは次に、フランスのドレスや帽子のモデルがアメリカに入ってくる経路を追いかけました。するとすぐに、大都市で売られている本物のパリのモデル1点につき、少なくとも10点はニューヨークの工房で作られたコピーで、そこにフランスの仕立て屋や帽子屋のラベルが縫いつけられていることが分かりました。彼はラベルをその出どころまでたどり、一流のフランス人デザイナーの名前が入ったラベルの製造を得意分野のひとつにしている会社を突き止めました。ラベルはグロス単位で製造され、束にして小売業者に売られていました。ボックはこのラベルの買い手の一覧を手に入れ、その中に全国の一流の商店のいくつかが含まれていることを知りました。彼はこうした事実をすべて公表しました。今度は小売業者たちが武器を取って告発を否定しましたが、やはりその否定は一般論にとどまりました。ボックは事実を握っており、彼らもそれを知っていました。これらの事実はあまりに具体的で説得力があり、反論のしようがなかったのです。

こうして編集者は、パリでデザインされたファッションの性格と、女性たちが模造品を買わされてだまされているやり方について、アメリカの女性たちの前に完全な論証を示しました。

「アメリカの女性にアメリカのファッションを」

そのあいだに彼は、女性服の世界で最も腕の立つデザイナーたちを雇い、アメリカのデザインを生み出すよう依頼していました。編集者の一人を西部に送り、インディアンの衣装からじかにモチーフを集めさせ、それをドレスの刺繍の装飾テーマに取り入れさせました。3人のデザイナーがメトロポリタン美術館で新しい芸術的なアイデアを探し、彼は、デザインを元の色の美しさそのままに掲載できるよう、会社を説得して4色刷りの印刷機を何台も導入させました。何か月ものあいだデザイナーと画家たちが仕事を続け、彼は良い服をよく知るニューヨークの女性たちで構成する審査委員会にデザインを審査してもらい、それから掲載を始めました。

「ニューヨーク・タイムズ」の編集長はボックに、同紙のために、アメリカでデザインされた最も優れたドレスと帽子を選ぶ懸賞コンテストを運営し、それをフルカラーで紹介する特別付録を編集してほしいと依頼しました。賞は、服飾に最も通じたニューヨークの一流の女性6人の審査員団が授与することになっていました。何百ものデザインが寄せられ、最も優れたものが選ばれ、付録はこの上ない好条件のもとで発行されました。

自分の雑誌では、ボックはアメリカでデザインされたファッションを何ページにもわたって掲載しました。それが誌面に載っていることは広く宣伝され、国内でデザインされたファッションが売れるかどうかを検討するために仕立て屋の大会が招集されました。そして「アメリカの女性にアメリカのファッションを」というスローガンを掲げた運動が、まもなく本格的に展開されました。

運動の挫折

しかし、そこまででした。女性たちは、新しい服のデザインならどれでもそうするように、興味深くデザインを眺めましたが、それ以上の関心は払いませんでした。アメリカのデザインであるという事実そのものが、女性たちに偏見を抱かせたのです。アメリカが良い服をデザインしたことはこれまで一度もないし、これからもないだろう、というのが彼女たちの言い分でした。議論をしても何の役にも立ちませんでした。パリという病原菌は、アメリカの女性の心に深く根を下ろしていたのです。女性たちは、自分たちがもしかすると偽物のフランス製のドレスや帽子にだまされているのかもしれないこと、ボックが示した論証は十分に説得力があるように見えることを認めました。しかし、ソファや椅子にコートを投げかけて、パリのラベルをほかの女性の目にさらしたいという誘惑は、あまりに大きかったのです。自分のガウンやコートや帽子が本物のパリの作品である見込みも、いつだって賭けてみるだけの値打ちがあったのです。

ボックは、アメリカの女性に向けて、フランスのクチュリエの軛から抜け出し、愛国心を示し、アメリカのデザインを後押しするよう呼びかけました。しかし無駄でした。彼はあらゆるところで女性たちと話をし、郵便受けは彼の立場をたたえる手紙でいっぱいになりましたが、実際の成果となると、何ひとつありませんでした。最も聡明な女友達の一人が、とうとう状況をこう要約してくれました。

「パリの支配をいくら非難しても、それが詐欺だと暴いても──実際、詐欺だと私たちも分かっていますけれど──何の役にも立ちませんよ。本当です。自分の身を飾ることとなると、女は理屈を使いません。論理など知らないのです。女は、体を飾ることだけが、ほかの女と張り合い、ほかの女をしのぎ、男性を引きつけるために自分が持っているすべてだと知っています。あなたが何を言っても、ほんの少しも影響を与えられません。男性のあなたには、まったく理解できないことに思えるでしょうけれど、それが女の本質なのです。あなたは、戦いようのないものと戦おうとしているのです」

「では、アメリカの女性には愛国心というものがないのですか?」とボックは尋ねました。

「これっぽっちもありません」という答えが返ってきました。「身を飾ることに関してはね。パリが言うことなら、女はそのとおりにします。盲目的で何も考えずに、と言いたければそう言ってもかまいませんが、とにかくそのとおりにするのです。愛国心を犠牲にしますし、品位を無視することさえ正当化するでしょう。今のパリのスタイルをご覧なさい。まったく品がありません。女たちはそれを分かっていますが、それでも従いますし、これからも従うでしょう。こんなことを言うのはとても不愉快ですけれど、それが真実ですし、あなたもいずれお分かりになるでしょう。あなたの努力はとても立派ですけれど、実を結ぶことはありません」

ボックが行く先々で、判断を信頼できると思える女性たちは、要するに同じことを言いました。誰もが残念がり、自分と同じ性を恥ずかしく思う人もあり、みな一様に申し訳なさそうでした。しかし、誰もがそろって、それが「女の本質」なのであり、ボックは骨折り損になるだけだと断言したのです。

そして、そのとおりになりました。しばらくのあいだは、小売店は本物のフランスのドレスや帽子のモデルとして陳列する数に以前より慎重になり、ラベル会社も商売が落ち込んだことを認めました。しかし、それは一時的なものにすぎませんでした。ジャーナル誌が途方に暮れ、打ち負かされて運動をやめてから1年もしないうちに、フランスのラベルの取引は以前にも増して盛んになり、海を渡ったこともない何百ものフランスのモデルが売られ、アメリカの女性はいたるところでだまされ、フランスのクチュリエの支配が再び揺るぎないものとなりました。

この件が望みのないものであることは隠しようがなく、ボックは避けられない事実を認め、受け入れました。少なくとも彼には、アメリカの女性を、思慮のない服従から目覚めさせようと、知恵を尽くして努力したという満足がありました。しかし彼女は目覚めることを拒みました。道具であること、愚か者にされることのほうを好んだのです。

エグレットと母鳥の運命

女性の本質を探ったボックの試みは、ひどく失望に終わりました。彼はアメリカの女性の役に立とうと真剣に努めましたが、失敗したのです。しかし、女性の本質への次の小旅行では、今回は勝利を収めることになるものの、さらに大きく深い失望を味わう運命にありました。

女性のファッションを調べているうちに、彼は、流行のエグレット(サギの飾り羽)の出どころを突き止めていました。女性が持つ羽飾りの中で最も欲しがられていたものです。彼が聞かされたのは、母サギが受ける残酷な責め苦の話でした。母サギは子育ての時期にだけこの美しい飾り羽を生やし、そして残酷に殺されます。たいていは、ひと思いに殺されるのではなく、ゆっくり死ぬにまかせて放置されるのです。そして巣にいる雛たちは、母鳥の帰りを待ちながら、みな飢え死にしてしまうのでした。

ボックは、母鳥の虐殺と雛の飢えを写した、胸が張り裂けるような写真を見せられました。彼は手に入るかぎりの写真を集め、それに最も生々しい説明文を書かせて、掲載を始めました。恐ろしいほど説得力のあるこれらの写真を掲載するだけで、すべての女性の母性本能を呼び覚まし、あれほど珍重されている羽飾りを身につけることをやめさせられると確信していたのです。しかし、女性の本質を改めようとする試みで、彼はまたしても見当違いをしていました。

彼は、エグレットを手に入れるためにどれほど恐ろしい代償が払われているかを示すページを、次々と掲載しました。写真のレンズがとらえた現実の事実──母鳥の虐殺と飢えた雛たち──には、異議の唱えようがありませんでした。羽飾りの輸入業者たちは賢明にも沈黙を守り、ボックの告発に答えようとはしませんでした。オーデュボン協会の活動家、鳥を愛する人々、人道的な心にあふれた女性たちから、編集者のもとに手紙が殺到しました。しかしボックには、答えがそうした少数の人々にあるのではないことが分かっていました。解決の鍵を握っているのは、声の聞こえてこない、もっと大きなアメリカの女性層だったのです。

逆効果になった告発

彼は成果を待ちました。成果は来ました。しかしそれは、彼が目指して努力してきたものではありませんでした。運動を始めて4か月後、アメリカで最も多くのエグレットの在庫を扱う輸入商社の内部から、彼は、この羽飾りの需要が4倍以上に増えたことを知ったのです! ボックは愕然としました! 最も信頼できる情報が得られると分かっているいくつかの筋に問い合わせ、すべての輸入業者に聞き取りをした結果、次のような結論は避けられないものになりました。ボックが、エグレットは富と流行の証しとして望ましいものであること、高価であること、女性たちがそれを女性の装飾の極みと見なしていることを詳しく書けば書くほど、それまでそんなことを知らなかった何千人もの女性にこうした事実を知らしめ、この貴重な羽飾りをひとつ手に入れたいという欲望を生み出していたのです。

ボックは、この結論を受け入れることができず、受け入れるつもりもありませんでした。女性が自分の身を飾ることに関して、ここまでのことをするとは信じられないと思ったのです。彼は、増えた売り上げを卸売業者から小売業者へ、小売業者から顧客へとたどらせ、その顧客たちの人柄と社会的地位に驚きました。近隣の都市に住んでいる買い手の何人かに内密に接触して話を聞かせたところ、2件を除いて、全員が彼の雑誌の読者で、彼が掲載した身の毛のよだつような写真を見たうえで、意図的にあこがれのエグレットを買っていたことが分かりました。

彼は再び自ら、女友達の中で最も聡明な人たちを訪ね、ほかにも何十人もの女性と話をしました。そして、アメリカのファッションを唱えたときに出会ったのと同じ、女性の本質の特性に向き合うことになりました。しかし今回は、自分が示した事実がはるかに深いところに触れているとボックには思えました。

「信じがたいことでしょうけれど」と、最も信頼する女友達の一人は言いました。「あなたの言い分は認めます。反論の余地はありません。でも、あなたはまた、ご自分に理解できない同じものと戦っているのです。外見を飾ることを渇望する女の本質は、どんな犠牲を払っても、たとえ苦しみを代償にしても、それを手に入れるのです」

「ええ」とボックは反論しました。「でも、女性が何よりも感じ、理解していると私たちが信じているものがひとつあるとすれば、それは母性本能です。この鳥たちが子育ての時期に殺され、エグレット一本一本の代償として、飢えた雛たちの巣がまるごとひとつ犠牲になっていることが、女性にとって何の意味もないとおっしゃるのですか?」

「それが女にとって重みを持たないとは言いません。もちろん重みはあります。でも、エグレットほど美しい装飾品を手に入れるとなると、重みはあっても、それを持つことに反対する側へ天秤を傾けるほどではないのです。こんなことをあなたに言わなければならないのは残念ですけれど、それが事実です。女は、母鳥が責め苦にあい、雛が飢えなければならないことを残念に思うでしょう。でも、エグレットは手に入れるのです。女はただ、その出どころを忘れるよう、自分をしつけるのです。

「私自身の場合を言いましょう。きっと驚かれるでしょうけれど、あなたがその手口を暴く前から、私はエグレットがどんな状況で手に入れられるのか、すっかり知っていました。でも、それで買うのをやめたでしょうか? とんでもない。なぜでしょう? 私が女だからです。エグレットほど私の髪を引き立ててくれる髪飾りはないと分かっているのです。残酷だと言いたければ言ってください。母サギが殺されたり、雛が飢えたりしなくて済めばいいとは思います。でもね、ボックさん、私は美しいエグレットを手に入れずにはいられないのです!」

ボックは率直に言って仰天しました。今回、彼はたしかに女性の本質の奥深くまで探りを入れたのです。事実を信じたくないというあらゆる願いと本能に反して、調べれば調べるほど、証拠はますます強力に積み上がっていきました。否定のしようがなく、これ以上信じないでいることに意味はありませんでした。

法律による禁止へ

しかし、ボックは今度こそ失敗しないと決意していました。母鳥とその雛を守らなければという彼の正義感は、いまや完全に呼び覚まされていました。説得で果たせなかったことを、強制によって実現しようと決めたのです。女性たちが、自分の最も神聖な本能に背くことができないようにしてやろうというのです。彼は法律の専門家の力を借り、エグレットの輸入、販売、購入、着用を軽犯罪とする法案を起草させました。この法案と、自分が掲載した写真や記事を武器に、彼はいくつもの州で最も影響力のある議員たちに働きかけ、関心と支持の約束を取りつけました。話をした議員の誰からも、すぐさま関心を得るのに何の苦労もなかったことに、彼は自分と同じ性への誇りを感じました。

女性には失敗したことで、男性には成功しつつあったのです! 鳥たちへのひどい虐殺と、鳥たちが責め苦にあう状況は、すべての男性のスポーツマン精神にじかに訴えかけ、彼らを奮い立たせました。ボックは議員の一人ひとりに、このような法案に対して、オーデュボン協会の会員と、わずかな人道的な女性や鳥好きの人を除けば、女性からの支持は期待できないと説明しました。自分の経験から言えば、女性全体としては、世間の目を恐れて法案に公然と反対するところまではいかないにしても、成立を後押しすることは何もしないだろう、心の中では法律が成立するより失敗するほうを望んでいるのだから、と彼は論じました。女性たちは彼に率直にそう語ったのであり、彼は理屈で話しているのではありませんでした。

ボックは州から州へと議員たちと連絡をとりました。どの場合も、世間の注目を集めるやり方ではなく、静かに法案を通すよう助言しました。

そのあいだに、全国のオーデュボン協会と、ニューヨークのオーデュボン協会全国連合(National Association of Audubon Societies)からも、強い働きかけが起こっていました。この全国連合も、同じ目的で独自の法案をさまざまな州議会に提出させており、ボックにとっては心強い味方となりました。奇妙なことに、オーデュボンの役員たちが最も強い抵抗にあったのは、ボック自身の州、ペンシルベニアでした。しかし、キーストーン州(ペンシルベニア)の議員たちとボックが個人的に知り合いだったことが、ここで大いに役立ちました。

エグレットの需要はますます増え、それまでにない数字にまで膨らみました。ボックの法案が議会で審議中だったある州で、彼は、この増えた需要に応えるために、並外れて大量のエグレットの積み荷が届くことを耳にしました。彼は法案を担当している議員に電報を打ってこの事実と、自分がしようとしていることを知らせ、法案の成立を急ぐよう強く求めました。それから、違法な輸入であることを理由に、その積み荷を波止場で差し押さえさせました。

輸入会社はすぐさま、差し押さえを禁じる差し止め命令を取りつけました。ボックはこれに対し、差し止め命令を取り消させる令状を送達して応じました。輸入業者の弁護士たちはもちろん動き出しましたが、そのあいだに議員は夜の特別会期を利用して法案を通過させ、知事を説得して署名させました。法律はただちに施行されました。

これこそ、ボックが狙っていたことでした。エグレットはいまや役に立たないものになりました。ほかの州へ再出荷することも、売りに出すこともできないのです。訴訟は取り下げられ、ボックは、16万ドル相当の積み荷がすべて廃棄されるのを見届けるという満足を得ました。母鳥の命を救うことはできませんでしたが、少なくとも、何百人ものアメリカの女性が、責め苦の証しを身につけるのを防いだのです。

その後、州が次々とエグレット禁止法を成立させ、実質的にすべての大都市を含む主要な14州が足並みをそろえるに至りました。

のちに、オーデュボン協会全国連合が、鳥の羽の国内への輸入を禁じる法案を合衆国議会に提出させて成立させ、こうして連邦法が誕生しました。

高くついた勝利

たしかにボックは戦いに勝ちました。しかし、その勝利のありようから、彼はほとんど満足を得られませんでした。女性に対する彼の理想は、激しく揺さぶられました。女性たちは彼に最悪の面を見せ、彼はその姿が気に入りませんでした。彼は、女性の本質の中で最も神聖な本能だと教えられて信じてきたものに訴えかけましたが、何の反応も得られませんでした。それどころか、個人的な虚栄心と装身具へのより深い愛着が、母性本能を完全に支配するのを目の当たりにしました。二度と元に戻すことのできない何かが、台座から転げ落ちてしまったことを、彼は自覚していました。

編集長の職を引き受けたときに母親が言った言葉が、恐ろしいほど現実になりつつあることに、彼は気づいていました。「あなたがこの職に就くのは残念です。あなたがいつも抱いてきた、母と同じ性への高い理想を失うことになるでしょう。内面はすっかり感情に動かされ、外面は身を飾ることへの飽くなき愛着に左右される、女の本質のような性質は、あなたが加えるような分析には決して耐えられないのですから」

彼は、自分の成功のために高い代償を払っていることを悟りました。こうした経験──そして残念ながら、これはいくつかあるうちの2つにすぎませんでした──が、きっと彼の頭にあったのでしょう。引退したとき、新聞各社が女性についての彼の意見を求めて騒ぎ立てると、彼はどの社に対しても「いいえ、けっこうです。一言も申し上げません」と答えました。

彼は理由を言いませんでした。

これからも言うことはないでしょう。


第28回:キプリングとの帰郷と講演旅行

第30回:売薬などの悪弊を一掃する