ボック『エドワード・ボックのアメリカ化』全訳(15)編集者として成功する

この記事は、雑誌「レディース・ホーム・ジャーナル」を30年間率いた編集者エドワード・ボック(1863〜1930年)が1920年に出版した自伝『The Americanization of Edward Bok』(翌年ピュリッツァー賞を受賞)を、新規事業ポータルが独自に日本語へ訳したものです。原文は著作権の保護期間が終わっており、Project Gutenberg で公開されています。100年以上前のアメリカで書かれた内容なので、当時の価値観や表現もそのまま含まれています。原文では著者自身を三人称の「エドワード・ボック」と書いており、訳文もそれに従っています。訳文では、原文の趣旨を変えないことを優先しました。

連載の構成(全39回)

  1. アメリカでの最初の日々
  2. 初めての仕事:週給50セント
  3. 独学への渇望
  4. 大統領との交友とボストン巡礼
  5. ロングフェローと劇場へ
  6. フィリップス・ブルックスの本とエマーソンの霧
  7. ウォール街に飛び込む
  8. 新聞配信の事業を始める
  9. ヘンリー・ウォード・ビーチャーとの関わり
  10. 初めての「女性のページ」、「文学の葉」、そしてスクリブナー社へ
  11. 成功のチャンス
  12. 砲火の洗礼
  13. 出版の出来事と逸話
  14. ニューヨーク最後の年
  15. 編集者として成功する(この記事)
  16. 女性誌の編集者としての最初の数年
  17. ユージン・フィールドのいたずら
  18. 雑誌を育てる
  19. 人柄が伝わる手紙
  20. いくつかの挫折
  21. 建設的な仕事の見本
  22. 街と個人の芸術への挑戦
  23. セオドア・ルーズベルトの影響
  24. ルーズベルトの匿名の論説
  25. 大統領と少年
  26. 文学の裏階段
  27. 女性クラブと女性参政権
  28. キプリングとの帰郷と講演旅行
  29. 女性の本質への小旅行
  30. 売薬などの悪弊を一掃する
  31. 市民生活への取り組み
  32. 戸惑うボック
  33. 何百万人に届く方法
  34. 戦時の雑誌と戦時の活動
  35. 大戦の前線で
  36. 30年の編集者生活の終わり
  37. 第三の時期
  38. アメリカが私に足りなかったこと
  39. 私がアメリカに負っているもの

女性誌の編集者は誰がなるべきか

女性誌の編集者は女性であるべきだ、という考えが世間には広くあります。ちょっと考えると、これは筋が通っているように聞こえるかもしれません。ところが不思議なことに、世界中の女性向け定期刊行物の圧倒的多数は男性が編集しています。一部には女性が編集者として名前を出している場合もありますが、その場合でも編集方針の舵取りは、たいてい裏にいる一人の男性か男性のグループが握っています。なぜそうなのかは、これまで説明されたことがありません。女性の服の仕立て屋の大半がなぜ男性なのか、女性により強く訴えかける音楽が、なぜこれまでも今も主に男性によって作曲され、最も偉大な演奏家もやはり男性なのか、信者に女性の多い教会で、なぜ最も偉大な説教者が今も昔も男性なのか、が説明されていないのと同じことです。

実際のところ、女性向けに特化したものであれそうでないものであれ、現代の雑誌の編集の全権と舵取りを女性に安心して任せられるものかどうかは、よく考えてみる価値があります。そうした地位がいかに経営的な性格を持っているか、そして、今日では編集の職務に入り込み、その大きな部分を占めている、ありとあらゆる実務的な経営上の問題に、現代の編集者がどれほど敏感でなければならないかを考えればなおさらです。女性が、編集の要となる地位にともなう実務的な問題にうまく対処できるほど、ビジネスの世界で十分な経験をまだ積んでいるかどうかは、疑問としてよいでしょう。さらに、女性や家庭に向けた雑誌を運営するには、それぞれの分野の専門家である女性を編集スタッフに置くことが絶対に欠かせません。そして実のところ、女性は、女性の指揮下よりも男性の指揮下のほうがはるかによく働くのです。

今の見通しからすると、少なくともしばらくのあいだは、大きな目的と広い視野を持ついわゆる女性誌は、男性が編集することになりそうです。ただし、私たちが知っているような女性誌の時代そのものが過ぎ去りつつあるのではないか、という問題もあります。現代の発展に照らすとひどく奇妙で弱々しく見える、古いやり方でつくられた女性誌の時代は、すでに終わっています。女性と男性の関心は年を追うごとに近づいており、やがて完全にひとつに溶け合う日もそう遠くないでしょう。それは、はっきり女性向けとうたった雑誌の必要性が、絶えず小さくなっていくことを意味します。

もちろん、男性の生活には関わりのない、本質的に女性のものである営みの分野は、これからも常に残るでしょう。けれども、そうした分野は、はっきり女性向け・家庭向けの商品をつくるメーカーが無料で配る冊子によって、急速にまかなわれるようになっています。こうした刊行物には最高の人材が起用されており、その成果は新聞広告や店のカウンターや郵便を通じて、女性の手に届きやすいところに置かれています。こうした冊子は遅かれ早かれ、それも遅くよりはずっと早く、女性誌の実用的な部分に取って代わり、男性にも女性にも同じように興味のある一般的な内容だけが残ることになるでしょう。ですから、本質的に女性に訴える雑誌の分野は、広がるどころか縮みつつあり、今後はもっと急速に縮んでいきそうです。

1889年、空白の分野

1889年にエドワード・ボックがこの分野に入ったときには、事情はまったく違っていました。分野は大きく開けていただけでなく、誰かが埋めてくれるのをまさに待ち望んでいるような状態でした。『ゴーディーズ・レディーズ・ブック(Godey's Lady's Book)』の時代は過ぎ、『ピーターソンズ・マガジン(Peterson's Magazine)』は虫の息で、それらに代わろうとした家庭誌や女性誌はお粗末なものばかりでした。埋められるのを待っている空白があるという意識こそが、フィラデルフィアでの試みを編集者の卵にとってあれほど魅力的なものにしたのです。彼は分野全体を見渡し、こう考えました。今ある程度の雑誌でもそこそこ成功できるのなら、そして女性たちがそうした雑誌を進んで買うのなら、もっと高い水準を持ち、もっと大きな主導性を持つ雑誌なら、どれほど大きな反響があるだろうか。家庭で女性が直面するあらゆる問題について頼りになる情報の集積地となり、そうした問題にじかに向き合って、楽しく効率よく解決しようとする雑誌。それでいて人を高め、励ます雑誌。言いかえれば、女性の世界に光と導きを与える雑誌です。

1889年の雑誌では、編集者の意見の表し方も、はっきりしないうえに、寄せつけないほど没個性的でした。世間は雑誌の編集者の名前をほとんど一人も知りませんでした。人々の心に印象を残す個性というものがなかったのです。編集者の意見は、誰とも知れない「われわれ」の形で述べるのが決まりで、あえて一人称単数を使って読者に親しく語りかけようとする人はいませんでした。エドワード・ボックは伝記を読むなかで、アメリカの人々は個性ある人物が大好きで、指導者としての資質が示されさえすれば、いつでもその指導者を認めてついていくものだと学んでいました。彼は、どこかの雑誌の編集者が印刷されたページを通して自分の個性を打ち出し、自分は人々から遠く離れた神託の告げ手などではなく、紙の上に文章を書くだけでなく語りかけることもできる生身の人間なのだと、世間に納得させるべき時が来たと感じたのです(ここでも、またほかの箇所でも、話はいつも、ごく幅広い読者に向けた大衆雑誌の世界のことです)。

読者を見下さない

彼はまた、1889年の平均的な大衆雑誌が大きな成功を収められずにいるのは、読者を見下して書いているからだと見抜いていました。これは、多くの編集者が犯してきた、そして今も犯している重大な過ちです。誰だって、じかにであれ遠回しにであれ、自分が実際より物を知らないと言われたくはありませんし、実際と同じくらいしか知らないと言われるのさえ嫌なものです。その逆をほのめかされれば、誰もが得をします。そして世間は、このちょっとした心理を理解している指導者に、いつでもついていくのです。世間の頭上を越えて撃つのと、下のほうを撃ちすぎるのとのあいだには、いつもちょうどよい中間があります。そして、下を狙うせいで、現代の大衆雑誌の多くが今日のような価値のないものになってしまっているのです。

読者の心理を正しく見きわめられる編集者はめったにいません。現代の雑誌がこれほど大きく成長したのに、成功した編集者がごくわずかしか生まれていないのは、そのためかもしれません。平均的な編集者は「世間が欲しいものを与える」という考えにとらわれています。しかし実際には、世間は欲しいものを目にすればそれとわかるものの、自分が何を欲しいかをはっきり言い表すことはできませんし、自分が求めたものを本当に欲しがることは決してありません。求めたその時には欲しいと思っているとしてもです。そして、編集者がそのセイレーンの声に耳を貸せば、編集者も雑誌もひどい目にあうのです!

ですから編集者には、地面に耳を当てて前もってそれを探り出す手立てはありません。導く立場に立てるよう正しく編集するには、ごく単純な心理の法則に頼るしかないのです。ところが、おそらく今日の平均的な編集者にとって、心理学は閉じられた本なのではないかと心配になります。彼らの頭は発行部数や広告にばかり向いていて、そうした面で必要な成果を雑誌にもたらしてくれる、目に見えないものにはほとんど向いていないのです。

編集者は雑誌の要である

編集者は雑誌の要です。すべては彼を軸に回ります。彼の読者の見きわめが正しければ、読者はやって来ます。自分自身に語るべきことがある人、あるいは語るべきことを持つ書き手を紹介してくれる人のもとへ、読者は来ずにはいられないのです。そして読者が来れば、広告主も来ないわけにはいきません。広告主は、自分にとって最大の市場、つまり買い手のいるところへ行かなければならないからです。よく誤解されていますが、広告主は雑誌という事業でいちばん難しい要素どころか、実はいちばん単純な要素です。広告主には、成功している雑誌に広告を出す以外の選択肢はありません。ついて来ざるをえないのです。編集者は広告主のことで気をもむ必要はまったくありません。広告主がその雑誌のページを避けるとしたら、それが広告主のせいであることはめったになく、編集者はたいてい、もっと身近なところに原因を探せばよいのです。

読者の声を、一段上で返す

エドワード・ボックが編集者として最初にしたことのひとつは、読者に三つの質問をして、最もよい回答に賞品を出すことでした。質問は、この雑誌でいちばん気に入らないものは何か、それはなぜか。いちばん気に入っているものは何か、それはなぜか。そして、今は載っていないが設けてほしい記事や欄は何か、というものです。何千通もの回答が届き、編集者はそれを自分で丁寧に読んで分類しました。それから、読者の提案を記事や欄の形で読者に返しました。ただし、読者が提案した水準のままで返すことは決してありませんでした。求められたテーマは取り上げましたが、いつも少しだけ高いレベルで扱ったのです。そして毎年、その水準を一段ずつ上げていきました。彼は常に読者の「ほんの一歩」先を行くようにしていました。彼の心理学は単純でした。世間が決めた水準まで降りていけば、降りたその瞬間に世間は去っていく。世間は常に、指導者が一段上にいること、一歩先を行くことを期待している。アメリカの人々は、いつでも自分が求めるものより少しだけよいものを欲しがっており、彼らに応えて成功する人とは、この黄金律に従う人なのだ、というものです。


第14回:ニューヨーク最後の年

第16回:女性誌の編集者としての最初の数年