フォード『わが人生と仕事』全訳(13)第12章:お金は主人か、召使いか

この記事は、アメリカの自動車メーカー、フォード・モーターの創業者ヘンリー・フォード(1863〜1947年)が、サミュエル・クラウザーの協力を得て1922年に出版した『My Life and Work』を、新規事業ポータルが独自に日本語へ訳したものです。原文は著作権の保護期間が終わっており、Project Gutenberg で公開されています。100年以上前のアメリカで書かれた内容なので、当時の価値観や表現もそのまま含まれています。訳文では、原文の趣旨を変えないことを優先しました。

連載の構成(全20回)

  1. 序章:そもそも、どういう考えなのか
  2. 第1章:事業の始まり
  3. 第2章:事業について学んだこと
  4. 第3章:本当の事業を始める
  5. 第4章:製造と奉仕の秘訣
  6. 第5章:生産に取りかかる
  7. 第6章:機械と人
  8. 第7章:機械への恐れ
  9. 第8章:賃金
  10. 第9章:なぜいつも景気よくいられないのか
  11. 第10章:物はどこまで安く作れるか
  12. 第11章:お金と商品
  13. 第12章:お金は主人か、召使いか(この記事)
  14. 第13章:なぜ貧しくあるのか
  15. 第14章:トラクターと動力農業
  16. 第15章:なぜ慈善なのか
  17. 第16章:鉄道
  18. 第17章:あれこれ
  19. 第18章:民主主義と産業
  20. 第19章:これから期待できること

1920年12月、広まった噂

1920年12月、国じゅうの事業が足踏み状態にありました。自動車工場は、動いているところより閉まっているところのほうが多く、閉鎖した工場のかなりの数は、すっかり銀行家の管理下に置かれていました。ほとんどすべての製造会社について財務状態が悪いという噂が飛び交っていましたが、私が関心を持ったのは、フォード・モーター・カンパニーはお金が必要なのに、それを手に入れることができずにいる、という話がしつこく流れ続けたときでした。私たちの会社についてのありとあらゆる噂には慣れっこになっていて、今ではどんな噂もめったに否定しないほどです。けれども、このときの噂はそれまでのものとは違っていました。やけに正確で、細部まで具体的だったのです。噂によれば、私は借金嫌いという偏見をついに乗り越え、近いうちにウォール街で帽子を手にお金を無心している姿が見られるだろう、ということでした。さらに噂はその先まで進み、誰も私にお金を貸さないだろう、会社を解体して廃業することになるかもしれない、とまで言われていました。

私たちが問題を抱えていたのは事実です。1919年、私たちはフォード・モーター・カンパニーの株式をすべて買い取るために、手形で7000万ドルを借りていました。そのうち3300万ドルがまだ返済されずに残っていました。政府に納める所得税が1800万ドル、すでに期限が来ているか、まもなく来るところでした。さらに、例年どおりその年の賞与を労働者に支払うつもりで、これが700万ドルになりました。1921年1月1日から4月18日までに支払わなければならないお金は、合わせて5800万ドルありました。銀行にあったのはわずか2000万ドルです。私たちの貸借対照表はだいたい世間に知られていましたから、借りずに不足分の3800万ドルを用立てることはできないだろう、と当然のように思われていたのでしょう。なにしろかなりの大金です。ウォール街の助けを借りずに、これだけの金額を簡単に、すばやく集めることはできません。私たちには十分な返済能力がありました。2年前には7000万ドルを借りていたのです。それに、財産にはまったく抵当がついておらず、取引上の負債もありませんでしたから、私たちに大金を貸すことは、ふだんなら何の問題にもならなかったはずです。むしろ、銀行にとってはいい商売になったでしょう。

ところが、私たちが資金を必要としていることが、倒産が迫っている証拠として、せっせと言いふらされているのがわかってきました。噂は全国の各地から報道の形で届いていましたが、もしかすると出どころはひとつなのではないか、と私は疑い始めました。この考えがさらに強まったのは、ひどく太った金融記者がバトルクリークにいて、私たちの財務状態がいかに切迫しているかという速報を次々に送り出している、と聞いたときです。そこで私は、噂をひとつも否定しないように気をつけました。私たちはすでに資金計画を立てていて、その中にお金を借りるという項目は入っていなかったのです。

いくら強調しても足りないのですが、お金を借りるのに最悪のタイミングは、あなたがお金を必要としていると銀行の人たちが思っているときです。前の章で、私たちの財務の原則を説明しました。私たちはその原則をそのまま当てはめただけです。徹底的な大掃除を計画したのです。

大幅な値下げと工場の休止

少しさかのぼって、当時どういう状況だったかを見てみましょう。1920年の前半に、戦争が生んだ熱に浮かされたような投機的な景気がこのままは続かない、という最初の兆しが現れました。戦争のおかげで生まれ、本当は存在する理由のなかったいくつかの会社がつぶれました。人々は買い物を控えるようになりました。私たち自身の売上は変わらず続いていましたが、遅かれ早かれ落ち込むことはわかっていました。私は値下げを真剣に考えましたが、製造コストはどこでも手がつけられないほど膨らんでいました。労働者は高い賃金と引き換えに、ますます少ない働きしか返さなくなっていました。原材料の供給業者は、地に足のついた値段に戻ることなど考えようともしませんでした。嵐が来るというきわめてはっきりした警告は、ほとんど顧みられませんでした。

6月になると、私たちの売上にも影響が出始めました。6月から9月まで、売上は月ごとに減っていきました。製品を一般の人々の購買力の範囲内に収めるために何か手を打たなければなりませんでしたし、それだけでなく、私たちが見せかけではなく本気で勝負していることを世間に示せるくらい、思い切った手を打つ必要がありました。そこで9月、ツーリングカーの価格を575ドルから440ドルに下げました。私たちはまだ好景気のときの値段で買った材料で車を作っていたので、この価格は製造原価をはるかに下回っていました。この値下げはかなりの騒ぎになりました。ずいぶん批判も受けました。業界の状況をかき乱している、と言われたのです。まさにそれこそ、私たちがしようとしていたことでした。私たちは、価格を人為的な水準から自然な水準に戻すために、自分の役目を果たしたかったのです。このとき、あるいはもっと早い時期に、メーカーや流通業者がそろって思い切った値下げをし、徹底的な大掃除をしていれば、これほど長く不況が続くことはなかっただろう、と私は固く信じています。もっと高く売れることを期待して粘ったことが、調整を遅らせたにすぎません。期待したような高値で売れた人は誰もいませんでしたし、損失を一度に引き受けていれば、国の生産力と購買力が釣り合うようになっただけでなく、世の中全体が長いあいだ仕事のない状態に置かれることも避けられたはずです。高値を期待して粘っても、損失を大きくしただけでした。粘った人たちは高値で仕入れた在庫の利子を払わなければならず、さらに、分別のあるやり方で仕事をしていれば得られたはずの利益まで失ったからです。失業が広がって支払われる賃金が減り、その結果、買い手と売り手はますます離れていきました。ヨーロッパに巨額の信用を与えるよう取り計らおうという話が、あわただしく盛んに交わされました。そうすれば高値の在庫をうまくさばけるかもしれない、という考えです。もちろん、そんな露骨な言い方で提案されたわけではありませんし、元本も利子も返ってくる見込みがなくても、外国に大きな信用を与えれば、どういうわけかアメリカの事業のためになる、と本気で信じていた人もかなりいたのだと思います。たしかに、アメリカの銀行がこうした信用を引き受けていれば、高値の在庫を抱えていた人たちは利益を出してそれを手放せたかもしれません。しかし銀行は凍りついた信用をあまりにも多く抱えこみ、銀行というより氷室(ひむろ)のようになってしまったことでしょう。最後の最後まで利益の可能性にしがみつきたくなるのは自然なことなのでしょうが、それはよい商売のやり方ではありません。

値下げのあと、私たちの売上は増えましたが、まもなくまた落ち始めました。気軽に買ってもらえるほどには、まだ国の購買力の範囲に入っていなかったのです。小売価格は全般に、まだ底を打っていませんでした。人々はあらゆる価格を疑っていました。私たちはもう一度の値下げを計画し、生産は月に約10万台の水準を保ちました。この生産量は売上から見れば正当化できるものではありませんでしたが、工場を止める前に、原材料をできるだけ多く完成品にしておきたかったのです。棚卸しと大掃除をするために、工場を止めなければならないことはわかっていました。再開するときには、もう一度大幅に値下げし、需要に応えられるだけの車を手元に置いておきたいと考えていました。そうすれば、新しい車はもっと安い値段で買った材料で作れます。私たちは、何としても安い値段で材料を買うと決めていました。

12月、2週間ほどで再開するつもりで工場を止めました。ところが、やるべきことがあまりに多く、実際には6週間近く再開しませんでした。工場を止めた途端、私たちの財務状態についての噂はますます盛んになりました。私たちがお金を求めて外に出ていかざるを得なくなればいい、と願っていた人がたくさんいたことを、私は知っています。お金を求めれば、相手の条件をのまなければならなくなるからです。私たちはお金を求めませんでした。お金を必要としていなかったのです。融資の申し出が一度だけありました。ニューヨークのある銀行の役員が、ある資金計画を携えて私を訪ねてきたのです。その計画には、大口の融資と、銀行側の代表者が財務担当役員(トレジャラー)として会社の財務を取り仕切るという取り決めが含まれていました。その人たちに悪気がなかったことは、私もよくわかっています。私たちはお金を借りたくありませんでしたが、たまたまそのとき、会社には財務担当役員がいませんでした。その点に関しては、銀行家たちは私たちの状況を正しく見ていたことになります。私は息子のエドセルに、社長に加えて財務担当役員も務めてくれるよう頼みました。これで財務担当役員の件は片がつきましたから、銀行家たちが私たちのためにしてやれることは、本当に何ひとつなくなりました。

社内の大掃除

それから私たちは大掃除に取りかかりました。戦争中、私たちはさまざまな種類の軍需の仕事を引き受け、そのために単一の製品を作るという原則から外れざるを得ませんでした。その結果、新しい部門がいくつも加わっていました。事務の人員は増え、生産があちこちに分散することから生じる無駄の多くが入りこんでいました。軍需の仕事は急ぎの仕事であり、無駄の多い仕事です。私たちは、車の生産に役立たないものを何から何まで放り出し始めました。

差し迫って予定されていた支払いは、労働者への700万ドルの賞与だけで、これはまったく自発的なものでした。支払う義務はありませんでしたが、1月1日に支払いたいと思っていました。これは手元の現金から支払いました。

私たちは全国に35の支社を持っています。どれも組立工場ですが、そのうち22か所では部品の製造も行っています。支社では部品の製造はやめていましたが、車の組み立ては続けていました。工場を止めた時点で、デトロイトには車がほとんどありませんでした。部品をすべて出荷していたので、1月のあいだ、デトロイトの販売店は地元の需要に応えるために、シカゴやコロンバスまで車を取りに行かなければならないほどでした。支社は各販売店に、それぞれの年間割り当てに応じて、約1か月分の販売をまかなえるだけの車を送りました。販売店は懸命に売りました。1月の後半、私たちは職長、副職長、現場の班長を中心に約1万人の骨組みだけの組織を呼び戻し、ハイランドパーク工場の生産を再開しました。外国の売掛金を回収し、副産物を売りました。

これで、本格的な生産を始める準備が整いました。そして少しずつ本格的な生産に入っていきました――利益の出る形でです。大掃除によって、価格を押し上げ、利益を食いつぶしていた無駄が一掃されました。役に立たないものは売り払いました。以前は1台あたり1日15人を使っていましたが、大掃除のあとは1台あたり1日9人になりました。これは15人のうち6人が職を失ったという意味ではありません。その6人が、生産に寄与しない状態から抜け出しただけです。私たちがこの削減を実現できたのは、「あらゆるもの、あらゆる人は生産に寄与するか、さもなければ出ていくか」というルールを当てはめたからです。

事務の人員は半分に減らし、事務員には工場でのもっとよい仕事を提示しました。ほとんどの人がその仕事を受けました。車の生産に直接役立たない注文用紙や統計の書式は、ひとつ残らず廃止しました。私たちはそれまで、面白いからという理由で、山のような統計を集めていました。しかし統計で自動車は作れません。ですから、それも出ていってもらいました。

電話の内線は60パーセントを撤去しました。どんな組織でも、電話が必要な人は比較的わずかです。以前は労働者5人に1人の職長を置いていましたが、今では20人に1人です。ほかの職長たちは機械について働いています。

1台あたりの間接費は146ドルから93ドルに下がりました。これが1日4000台以上の車でどういう意味を持つかを考えれば、倹約によってでも賃金カットによってでもなく、無駄をなくすことによって「不可能な」価格を実現できるのだということが、おわかりいただけるでしょう。何より大切なのは、回転を速めることで、事業に使うお金を少なくする方法を見つけたことです。そして回転率を高めるうえで最も大きな役割を果たしたもののひとつが、私たちが買い取ったデトロイト・トレド・アンド・アイアントン鉄道でした。この鉄道は、節約の計画の中で大きな位置を占めました。鉄道そのものについては、別の章を割いて書いています。

借りずに資金を生み出す

少し試してみてわかったのは、貨物輸送のサービスを十分に改善すれば、製造のサイクルを22日から14日に縮められるということでした。つまり、原材料を買い、製造し、完成品を販売業者の手に渡すまでを、以前よりおよそ33パーセント短い時間でできるようになったのです。私たちはそれまで、生産を途切れさせないために、約6000万ドルの在庫を抱えていました。この時間を3分の1縮めたことで2000万ドルが浮き、利子にして年120万ドルが節約できました。完成品の在庫も数に入れると、さらに約800万ドルを節約できました。つまり、2800万ドルの資本を解放し、その金額にかかる利子を節約できたのです。

1月1日には2000万ドルありました。4月1日には8730万ドルになりました。すべての借金を完済するのに必要な額より2730万ドル多い金額です。事業の中を掘り下げたことが、私たちにこれだけのものをもたらしたのです! この金額の内訳は次のとおりです。

項目 金額
1月の手元現金 20,000,000ドル
1月1日から4月1日までに現金化した手持ち在庫 24,700,000ドル
輸送の迅速化によって浮いた資金 28,000,000ドル
外国の代理店からの回収 3,000,000ドル
副産物の売却 3,700,000ドル
リバティー債の売却 7,900,000ドル
合計 87,300,000ドル

さて、こうしたことをお話ししたのは、手柄話をするためではありません。事業は借金をしなくても自分の中に資金源を見つけられるのだということを示すため、そしてまた、今のお金の形が借金をすることを有利にし、その結果、銀行家に人生の中であまりにも大きな場所を与えているのではないか、ということについて、少し考えるきっかけにしてもらうためです。

私たちは4000万ドルを借りることもできましたし、望めばもっと借りられたでしょう。もし借りていたら、どうなっていたでしょうか。事業を続けていくうえで、よりよい状態になっていたでしょうか。それとも悪い状態になっていたでしょうか。借りていれば、生産を安くする方法を見つける必要に迫られることはなかったはずです。仮に一律6パーセントで借りられたとしても――実際には手数料などで、それ以上払わなければならなかったでしょう――年50万台の生産に対して、利子だけで1台あたり約4ドルになったはずです。ですから今ごろ、私たちは生産の改善という恩恵を受けられないまま、重い借金を背負っていたことでしょう。車の価格は、今より100ドルほど高くなっていたはずです。そうなれば買い手はそれほど多くならないので生産量は減り、雇う人も減り、要するに、できるかぎりの奉仕をすることができなかったでしょう。お気づきのとおり、金融業者たちは、やり方を改善することによってではなく、お金を貸すことによって問題を治そうと提案してきたのです。彼らはエンジニアを送りこもうとは言いませんでした。財務担当役員を送りこみたがったのです。

銀行家が事業を動かすことの危うさ

そして、そこにこそ、銀行家を事業に入れることの危険があります。彼らはもっぱらお金の観点でしか考えません。工場を、商品ではなくお金を作るものとして考えます。生産の効率ではなく、お金を見張りたがります。事業は決して立ち止まってはいない、前に進むか後ろに下がるかのどちらかしかない、ということが理解できないのです。値下げを、事業を築くことではなく、利益を捨てることだと考えてしまいます。

銀行家は、産業の運営においてあまりにも大きな役割を演じています。ほとんどの事業家は、内々ではこの事実を認めるでしょう。公の場で認めることはめったにありません。自分の取引銀行が怖いからです。お金を扱って財を成すのに必要な技量は、生産を扱って財を成すのに必要な技量よりも少なくてすみました。成功した平均的な銀行家は、成功した平均的な事業家に比べて、決して頭がよいわけでも、機転がきくわけでもありません。それなのに銀行家は、信用を握っていることによって、平均的な事業家を事実上支配しているのです。

この15年か20年のあいだ――とくに戦争以来――銀行家は大きく手を広げてきました。そして連邦準備制度は一時期、ほとんど無限といってよいほどの信用を彼らの手に委ねました。すでに述べたように、銀行家は、受けてきた訓練からいっても、その立場からいっても、産業の運営にはまったく向いていません。それなのに、信用を握る者たちが最近これほど大きな力を手にしたのだとすれば、それは、産業において奉仕ではなく金融に支配的な力を与えている金融制度のどこかに問題がある、というしるしと受け取るべきではないでしょうか。銀行家を産業の経営に引き入れたのは、彼らの産業に対する鋭い見識ではありません。それは誰もが認めるでしょう。彼らは、否応なく、制度そのものによってそこへ押し出されたのです。ですから私は個人的に、私たちが最善の金融制度のもとで事業をしているのかどうかを見極めたいのです。

ここではっきり言っておきますが、私が銀行家に異を唱えるのは、個人的な好き嫌いとは何の関係もありません。銀行家そのものに反対しているわけではないのです。私たちには、金融に通じた思慮深い人々がどうしても必要です。世の中は、銀行の機能なしにはやっていけません。お金は必要です。信用も必要です。そうでなければ、生産の成果を交換することができません。資本も必要です。資本がなければ、生産そのものがありえません。しかし、私たちが銀行業と信用を正しい土台の上に築いてきたかどうかは、まったく別の問題です。

私には、今の金融制度を攻撃するつもりはまったくありません。私は、制度に打ち負かされて仕返しをしたがっている者の立場にいるわけではありません。私たちは外部からの金融の助けを借りずに自分たちのことをやってこられたので、銀行家が何をしようと、私個人にはまったく関係がありません。私がこの問題を問いかけるのは、個人的な動機からではまったくありません。ただ、できるだけ多くの人に、できるだけ大きな益がもたらされているかどうかを知りたいのです。

金本位制とお金の問題

ある種類の生産者を別の種類の生産者より優遇するような金融制度は、よい制度ではありません。私たちは、富を生み出すことに基づかない力を取り除くことができないものかどうかを見極めたいのです。どんな種類であれ、特定の階級のための立法は有害です。国の生産は、そのやり方があまりにも変わってしまったので、金はもはやそれを測るのに最善の尺度ではない、と私は考えています。そして、信用を統制する手段としての金本位制は、現在運用されているような形では(そして、それは避けられないことだと私は思いますが)、特定の階級に有利に働きます。信用を最終的に抑えているのは、国の中にある富の量ではなく、国の中にある金の量なのです。

私には、お金や信用について断定的なことを言う用意はありません。お金と信用に関しては、断定できるほど多くを知っている人はまだ誰もいないのです。この問題全体は、本当に重要な他のすべての問題と同じように、慎重で、しっかりした根拠に基づく実験によって解決していくしかないでしょう。そして私は、慎重な実験より先へ進むつもりはありません。一歩一歩、ごく慎重に進まなければならないのです。これは政治の問題ではなく経済の問題であり、人々がこの問題について考える手助けをすることは、まったくよいことばかりだと私は確信しています。知識を与えようという誠実な努力がなされていれば、人々は十分な知識のないまま行動して災いを招いたりはしないでしょう。お金の問題は、あらゆる立場、あらゆる能力の数多くの人々の頭の中で、第一の位置を占めています。けれども、万能薬とされる制度の大半にちょっと目を通してみれば、それらがいかに矛盾しているかがわかります。その大多数は、そもそも人間が正直であることを前提にしており、それはもちろん根本的な欠陥です。すべての人が正直なら、今の制度でさえ見事に機能するでしょう。実のところ、お金の問題の95パーセントは人間の本性の問題です。うまくいく制度は、人間の本性をあてにするのではなく、人間の本性に歯止めをかけるものでなければなりません。

人々はお金の問題について考えています。もしお金を支配している人たちが、人々が道を誤らないように知っておくべきだと考える情報を持っているのなら、今こそそれを伝えるときです。信用を絞るぞという脅しが効き目を持ったり、言葉ばかりのスローガンで人々を怖がらせたりできた時代は、急速に過ぎ去りつつあります。人々は本来、保守的です。金融業者よりも保守的なのです。人々はたやすく言いくるめられるので、印刷機で牛乳の引換券のようにお金を刷りまくることも許してしまうだろう、と思っている人たちは、人々のことをわかっていません。金融業者たちがとんでもない手品を使い――そしてそれを高尚な専門用語で覆い隠し――ているにもかかわらず、私たちのお金が健全さを保ってきたのは、人々が生まれながらに持っている保守性のおかげなのです。

人々は健全な通貨の側に立っています。あまりにも揺るぎなく健全な通貨の側に立っているので、事情に通じた者たちがこの制度を使って何ができるかを一度知ってしまったら、自分たちがその下で暮らしている制度をどう見るようになるか、これは深刻な問題です。

今のお金の制度は、演説や、政治的な騒ぎ立てや、経済の実験によって変わることはないでしょう。状況の圧力によって変わっていくのです。私たちには制御できない状況と、私たちには制御できない圧力によってです。そうした状況はすでに私たちのもとにあり、その圧力はすでに私たちにかかっています。

人々が、お金について自然に考えられるよう手助けしなければなりません。お金とは何か、何がそれをお金たらしめているのか、そして、国や国民を少数の者の支配下に置くような、今の制度にひそむ仕掛けにはどんなものがありうるのかを、人々に伝えなければなりません。

お金は運ぶ仕組みの一部

お金というのは、結局のところ、きわめて単純なものです。それは私たちの輸送の仕組みの一部です。品物をある人から別の人へ届けるための、単純で直接的な方法です。お金はそれ自体、実にすばらしいものです。欠かせないものです。本来、悪いものではありません。社会生活の中で最も役に立つ仕組みのひとつです。そして、本来の目的どおりに働いているかぎり、助けになるばかりで、妨げにはまったくなりません。

しかし、お金は常にお金でなければなりません。1フィートは常に12インチですが、1ドルはいつ1ドルなのでしょうか。石炭置き場でトンの重さが変わり、食料品店でペック升の大きさが変わり、ヤード尺が(「為替」とかいう不可思議な作用によって)今日は42インチ、明日は33インチになるとしたら、人々はたちまちそれを正すでしょう。1ドルが常に1ドルでなく、100セントのドルが65セントのドルになり、次に50セントのドルになり、さらに47セントのドルになる――古きよきアメリカの金貨や銀貨のドルがそうなったように――のだとしたら、「安いお金」だの「価値の下がったお金」だのと騒ぎ立てて何になるでしょうか。100セントのままであり続けるドルは、16オンスのままであり続けるポンドや、36インチのままであり続けるヤードと同じくらい必要なのです。

まっとうな銀行業を営む銀行家は、地元の銀行のやり方を身につけるだけで満足するのではなく、自分たちこそが、私たちの通貨制度を最初に掘り下げて理解すべき人間なのだと考えるべきです。そして、銀行の残高で博打(ばくち)を打つ者たちから「銀行家」という名を取り上げ、その名が与えている影響力のある地位から、きっぱりと追い出してくれれば、銀行業は本来あるべき公共への奉仕として回復し、確立されるでしょう。そして、今の通貨制度や金融の仕掛けの不正は、人々の肩から取り除かれるでしょう。

もちろん、ここには「もし」がついています。けれどもそれは乗り越えられないものではありません。事態はすでに行き詰まりに向かっており、専門的な技量を持つ人たちが事態の改善に取り組まなければ、その技量を持たない人たちが手をつけようとするかもしれません。どんな階級であれ、進歩を自分たちへの攻撃だと思いこむことほど愚かなことはありません。進歩とは、全体の前進のためにその経験を貸してほしいという、その階級への呼びかけにすぎないのです。進歩を妨げようとして、その結果進歩の犠牲者になるのは、賢くない者だけです。私たちは皆ここに一緒にいて、皆一緒に前へ進まなければなりません。進歩の動きに腹を立てるのは、どんな人であれ、どんな階級であれ、まったくばかげたことです。もし金融業者が、進歩とは頭の弱い人たちが落ち着きをなくしているだけのことだと感じ、改善のための提案をすべて自分への平手打ちだと受け取るのなら、それこそが、彼らがこれ以上指導的な立場にとどまるのにふさわしくないことを、何よりもはっきり証明する態度をとっていることになります。

もし今の欠陥のある制度のほうが、もっと完全な制度よりも金融業者にとって利益が大きく、そしてその金融業者が、よりよい制度を築く手助けをして世界の営みに貢献するという名誉よりも、自分に残された数年間の個人的な利益のほうを大切に思うのなら、利害の衝突を防ぐ手立てはありません。しかし、利己的な金融の利害関係者に対しては、はっきり言っておくのが公平というものでしょう。自分たちの利益になるというだけの理由で制度を永続させようとして戦うのなら、その戦いはすでに負けているのだ、と。金融が何を恐れることがあるでしょうか。世界はこれからも存在し続けます。人々は互いに商売を続けます。お金はあり続けますし、お金の仕組みに通じた人も必要とされ続けます。消えていくのは、結び目ともつれだけです。もちろん、いくらかの再調整はあるでしょう。銀行はもはや産業の主人ではなくなります。産業の召使いになるのです。お金が事業を支配するのではなく、事業がお金を支配するようになります。破滅をもたらす利子の制度は、大きく修正されるでしょう。銀行業は危険を冒すものではなく、奉仕となるでしょう。銀行は今よりずっと多くのことを人々のためにするようになり、世界で最も運営費のかかる事業、最も配当の多い事業ではなくなって、費用は少なくなり、その運営から生まれる利益は、銀行が奉仕する地域社会に還元されるようになるでしょう。

富とお金は同じものではない

古い秩序には、根本的な事実が二つあります。第一に、一国の中では、金融の支配は、その国で最大の中央集権化された銀行機関――政府の銀行か、あるいは緊密に結びついた民間の金融業者の集団――へと向かう傾向があります。どの国でも、民間あるいは半ば公的な利害関係者が、はっきりと信用を支配しているのです。第二に、世界全体でも、同じ中央集権化の傾向が働いています。戦前には世界の信用がロンドンに支配され、英国のポンドが世界貿易の為替の基準であったように、アメリカの信用はニューヨークの利害関係者の支配下にあります。

改革の方法としては二つの道が開かれています。ひとつは下から始める道、もうひとつは上から始める道です。後者のほうが秩序立ったやり方で、前者はロシアで試みられています。もし私たちの改革が上から始まるのなら、それには社会的な展望と、利己的な抜け目なさとは相いれないほどの誠実さと強さを備えた、利他的な熱意が必要になるでしょう。

世界の富は、世界のお金でできているわけでもなければ、世界のお金によって十分に表されているわけでもありません。金そのものは、価値ある商品ではありません。帽子の預かり札が帽子でないのと同じように、金は富ではありません。しかし金は、富のしるしとして操作することができ、それによって、金を所有したり支配したりする者に、本当の富を生み出す生産者が必要とする信用を思いのままにする力を与えます。交換の手段という商品であるお金を扱うことは、たいへん儲かる商売です。本当の富を動かしたり交換したりする前に、お金そのものが売り買いされる商品になってしまうと、高利貸しや投機家が生産に税を課すことが許されてしまいます。お金を支配する者が生産の力に及ぼす締めつけがどれほど強いかは、次のことを思い起こせばわかります。お金は世界の本当の富を表すものとされていますが、実際には常にお金よりもずっと多くの富があり、本当の富がしばしばお金を待たされる。その結果、世界は富にあふれているのに欠乏に苦しむという、最も矛盾した状況が生まれるのです。

こうした事実は、単に財政上の事実として数字にされ、そのまま放っておかれるものではありません。そこには人間の運命が宿っていて、血を流しているのです。世界の貧困は、物が足りないために起こることはめったになく、「金詰まり」によって起こります。国と国とのあいだの商業上の競争が国際的な対抗心と悪感情を生み、それがさらに戦争を生み出す――これらは、こうした事実が人間にとって持つ意味の一部です。こうして、貧困と戦争という、防ぐことのできる二つの大きな悪が、一本の茎から育っているのです。

よりよい方法に向けて、第一歩を踏み出せないかどうか、見てみようではありませんか。


第12回:第11章:お金と商品

第14回:第13章:なぜ貧しくあるのか