スティーブ・パヴリナ翻訳:集中と自己規律か、思いやりか

この記事は、自己啓発ブロガーのスティーブ・パヴリナ(Steve Pavlina)が2010年12月に自身のブログで公開した記事「Focus and Discipline vs. Caring」を、新規事業ポータルが独自に日本語へ訳したものです。この記事は著者によってパブリックドメインとして公開されています(著者による宣言)。原文はこちら。公開当時の状況を前提にした内容も含まれています。訳文では、原文の趣旨を変えないことを優先しました。


昨日の記事「Life Purpose and Values(人生の目的と価値観)」のあと、なぜ私が集中や自己規律といった価値観をリストから外したのか、という質問をいくつか目にしました。そうした価値観はもう大切ではないのか。それとも、もう意識して考える必要がないほど身についたと感じているのか、というものです。

実は、どちらでもありません。

皮肉なことに、そうした価値観をリストに載せていても、何かを決めるときにはあまり役に立たないとわかったのです。持っておくとよい価値観に思えますし、大切だということにも同意します。しかし実際には、もっと深い真実をかえって見えにくくしていました。

「集中すること」に集中して役に立つのか

何に集中するのでしょうか。自分を律して何をするのでしょうか。

もし、こうした価値観を間違った取り組みに当てはめてしまったらどうなるでしょう。

19歳のころ、私は万引きにとても集中していました。毎日そのことを考え、腕を磨き続け、自分を律して行動に移していました。そして、かなりうまくなりました。それは賢い選択だったでしょうか。

その後、私はコンピューターゲームの会社を経営することに集中しました。その集中によって人生のいくつかの分野ではよい結果が出ましたが、ほかの分野では歩みが遅くなりもしました。片手間に人の役に立つ記事を書いたときには、記事を書くことは集中を薄め、ゲームの販売から自分を遠ざけるからと、自分を責めることもありました。それでも、書きたいという気持ちはありました。いつか自分がブロガーであり、著者であり、講演者になって、1,000本以上の記事を書き、十数か国語で出版される本を出し、ライブのワークショップを開くことになるとは知りませんでした。当時はブログというもの自体、少なくとも今のような形では存在していませんでした。ですから、持っておくとよい価値観に思えても、もし私が実際以上に集中という価値観に固執していたら、今でもコンピューターゲームをつくり続け、記事を書くことは正当化できない気晴らしだとしてすっかりやめていたかもしれません。

自分の人生を振り返り、もっと集中できるようになることに集中してきた結果、よい成果が出たかどうかを自問してみてください。それは報われているでしょうか。いくつかの分野では、かえって足を引っ張っていないでしょうか。自分の焦点が、自分にとって最善のものだと確信できますか。

私の場合、それ自体を目的としてもっと集中し、もっと自分を律せるようになろうとすることには、いくらか利点があったと思います。しかし、その成果は期待していたほど大きくありませんでした。何かがずれていると直感的に感じていました。より集中し、より自分を律しているように見えることをしても、かえってストレスや圧倒される感覚が強くなることが多く、皮肉にもそのせいで集中しにくくなっていたのです。自分の中のどこかが抵抗していて、それは怠け心のせいではありませんでした。

やがて私は、その抵抗がつながりを失っている感覚と関係していることに気づきました。最初は結果にとても満足できるだろうと思っていたのに、実際には満たされない気持ちが残る行動に集中していることがよくあったのです。最も深いレベルの原動力やモチベーションが、表に出てきていませんでした。

自分にとって最善の焦点とは

そこで考えました。抵抗が少なく、もっとやる気が出て、より満たされるような、注意を向けるのにもっとよい場所はあるのだろうか、と。

やがて私は、自分にとって最もうまくいく焦点を見つけました。その焦点とは、「思いやり(caring)」です。

この価値観は長年私の人生にありましたが、それが自分にとってどれほど大切かをはっきり意識するようになったのは、つい最近のことです。

私がこの自己啓発サイトを始めた一番の理由は、人の役に立つことを大切に思っているからです。心から大切に思っていれば、書けなくなるスランプに陥ることはありません。言葉はいつでも流れ出てきます。むしろ書かないよう自分を律するほうが難しいでしょう。書くために自分を律する必要はありません。書いているテーマを大切に思っているし、私の文章を読んでくれる人たちを大切に思っているからです。大切に思っていなければ、何ひとつ書かないでしょう。

思いやりこそが、私がヴィーガンである理由です。私は動物に深い共感を抱いていて、動物が必要もなく苦しむのを見ると胸が張り裂けそうになります。ですから、自分が加担している苦しみを減らし続けるよう努め、私たちがもっと思いやりのある世界を一緒につくっていくという意図を持ち続けています。これほど相互につながった世界では、完璧は現実的ではないかもしれません。それでも、できる限りのことをしています。ときどき胸が痛むとしても、心を閉ざすつもりはありません。喜びと悲しみはセットだとわかっているからです。

ヴィーガンでない人はめったに気づいていないものの、多くのヴィーガンがよく知っていることがあります。それは、ヴィーガンになると人間関係が大きくよくなる傾向があるということです。その理由のひとつは、ほかの人間とのつながりをずっと強く感じるようになることです。私が最初そうだったように、主に健康上の理由でヴィーガンになったとしても、副次的な効果として、心(物理的な意味でも比喩的な意味でも)の詰まりが減っていきます。そのおかげで、愛をより強く感じ、表現できるようになります。この道を数年歩んだあとで過去の自分を振り返ると、かつての自分がどれほど冷たく暗かったかに気づいて身震いします。この効果が現れるにはふつう何年もかかりますが、多くのヴィーガンがそれを経験しています。動物の苦しみに心を閉ざしながら、人間の苦しみに対しても心の一部を閉ざさずにいることはできないのです。心をもっと開き、もっと思いやりをもって振る舞うようになると、求める水準が高くなるので、最初はまともな恋愛関係を引き寄せるのが難しくなったように思えるかもしれません。でも、自分と同じくらい思いやりのある人とつながれたときには、そのつながりはそれまでに経験したどんなものよりも強いものになりえます。

思いやりは、私が人間関係において最も大切にしている価値観です。私は誰かを深く大切に思い、その思いを、愛情や気配り、遊び心などを通して表現するのが大好きです。人をいい気分にさせるのが好きなのです。だからこそ私は、一対一の関係(モノガミー)よりもポリアモリー(合意のうえで複数の人と愛し合う関係)のほうに共感します。複数の人を大切に思うことに「浮気」というレッテルを貼るのは、私にはしっくりきません。体で愛し合うことは、思いやりを表現するたくさんの方法のひとつにすぎませんが、人によっては、愛を与え受け取るための強力な経路になります。もし自分を律するとしたら、レイチェル(Rachelle)にすてきなマッサージをしてあげようとか、私たちのつながりにどれほど感謝しているかを伝えようとか、自分に言い聞かせるかもしれません。あるいは、友人のFacebookページに励ましの言葉を書き込んだり、人々を元気づけられそうなTwitterの投稿を考えたりするかもしれません。

一方で、思いやりがあったからこそ、エリン(Erin)と別れるのはとても難しいことでした。彼女を傷つけることだけは絶対にしたくありませんでした。私たちの関係は、互いに大切に思っているだけでは足りず、互いに「大切にされている」と感じる必要もあるのだと私が気づくまで、形を変えることができませんでした。エリンと私は愛の与え方も受け取り方もまったく違っていたので、相手が受け取れる形で思いやりを表現するのに苦労しました。そこで私たちは手放して、互いにもっと相性のよいパートナーを探せるようにしなければなりませんでした。私たちは今も互いを大切に思っていますが、今はそれを違う形で表現しています。

心を開いていない人が、何か大切に思えるものを見つけられずにもがいているのを見ると、その人がそのせいで苦しんでいるのがわかります。人がようやく心を開き、何かを大切に思いはじめたとき、どれほど幸せになるかを私は見てきました。それはたいてい、自分の胸を張り裂けさせるものに向き合い、涙をこらえるのをやめることを、自分に許すところから始まります。あなたを泣かせるものは何でしょうか。毎日それを大切に思うことを自分に許したら、何が起こるでしょうか。

新しいレベルの明確さ

新しい価値観のリストは、自分が何に集中したいのかを以前よりうまくはっきりさせてくれます。

もっとお金を稼ぐことや、もっと成功することに集中しても、最高の仕事をしようという気持ちにはなりません。ストレスが増えるだけのこともよくあります。でも、人を大切に思うことに集中し、私たちはみな人類というより大きな体の一部なのだと知っている境地に入ると、すべてが美しく流れていきます。ふだんなら少し疲れていたり眠かったりするときでも、刺激を感じます。行動を後押しするのにちょうどいい緊張感はあるものの、ストレスや圧倒される感覚を覚えるほどではありません。頭は冴えて鋭くなり、考えは明晰で焦点が定まり、まるで川の流れに乗って下っていくような感覚になります。よく集中できます。そして、胸の真ん中に温かく力強い感覚が生まれます。その境地から書くと、人々はそれに共感してくれるようですし、私の言葉が偶然にも読み手の人生の出来事と重なることもよくあります。より大きな調和が生まれるのです。

思いやりや一体感といった価値観に集中すると、より満たされた気持ちになります。思いやりはとても強い動機になるので、私はより強く、より自分を律せるようになります。自分のしていることを大切に思っていなければ、自分を律するのはとても難しいものです。でも、本当に大切に思っているなら、むしろ行動しないほうが難しくなります。ほとんど取り押さえでもしない限り、止められないでしょう。

興味深いことに、社会はときどき私たちにまさにそうしているのではないでしょうか。ある活動家たちが外へ出て、ある問題をどれほど深く大切に思っているかを表現すると、心を閉ざしておくよう条件づけられてきた人たちによって、物理的に取り押さえられている姿を目にすることがあります。

あなたはどんな世界に住みたいですか。とても集中していて規律のある世界に住むのが一番幸せでしょうか。それはどんなイメージを呼び起こすでしょう。もしかするとナチスでしょうか。

それとも、とても思いやりのある世界に住みたいでしょうか。誰もが互いを大切にし、地球全体を大切にしている世界に住むのは、どんな感じでしょう。そうなれば私たちは、本当に大事な形で、より集中し、より規律があり、より効率的にもなるのではないでしょうか。

私は後者を選びます。世界に望む変化に自分自身がなることの大切さを理解しています。今この時代に地球が最も必要としているのは、より多くの人が目を覚まし、感じるだけでなく行動を通して思いやりを持つことだと思います。歴史の今この時点では、新しい「iなんとか」をつくり出すことより、互いを大切にすることを学ぶほうが重要なのです。

自分の心の琴線を引っぱるものに注意深く(care fully = 心を込めて)耳を傾けると、その弦は音楽を奏ではじめます。その音楽は、とても美しいものです。

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